読書の記憶
今週のお題「読書の秋」
大学時代は本を読んだ方だと思う。
「本を読んだ」といっても動機は崇高な自己啓蒙の意識などでなく、せいぜい語彙力を付けておけば社会で役に立つという実用的な理由が少々と大半は娯楽目的だった。
下宿の本棚には著名な哲学書や古典もあるにはあったが、他にスリリングなスパイ物やユーモアエッセイも並びむしろそれらの方が多かった。今でもそれら「純然たる娯楽品」の方が鮮やかに思い出せるし語ることができる。
もちろん文豪たちの作品を貶めるつもりはなく、例えば梶井基次郎の「城のある町」において城郭からの眺め数行で私はその城が地元にある松阪城と分ったことがある。活字による写実でここまでできるのかと感動さえ覚えた。
国内外問わず文学史上の作家たちは紛れもなく様々な天分の持ち主だ。天才を挙げてみろと言われたら、ボクシングの全団体・全階級合わせて世界に何十人もいる「世界チャンピオン」並みに、天才作家たちを挙げ連ねなければならないだろう。そこで大まかに面白い話を作る、ストーリー・テラーの力量に絞って天才と思った作家をあくまで個人的に考えてみた。
アレクサンドル・デュマ(大デュマ)、ジェフリー・アーチャー、向田邦子、さくらももこ、私の頭に浮かんだのはこの4人。
19世紀連載当時のパリ市民を熱狂させたデュマの「三銃士」「モンテクリスト伯」は今読んでもスケールの大きさと鮮やかな活劇に酔いしれる。
アーチャーの持ち味は巧みに読者の意表を突く代表作「百万ドルを取り返せ!」「ケインとアベル」などに表れているが彼の凄さがわかるのは短編集の方かも知れない。彼はなんと「短編1話なら1時間で書く」と豪語する驚くべき創作力の持ち主である。
向田邦子はその感受性が作品に大きな魅力を与えている。ときには感傷に満ちていながらも湿っぽくなりきらない独特の余韻があり感性の持ち主だと思う。何とも粋な表現ができる人。
さくらももこのエッセイはひたすら面白い。面白おかしく書くことにおいて彼女の右に出るものはいないのではないだろうか。
4人に共通するのはどの作品も面白くいわゆる「駄作」がないことだと思う。私はほとんど経験ないが映画館で最後まで見ておられず席を立つほど後悔することはない。
読書では数時間あるいは数日費やすことだってざらである。大長編を読んだ後は別世界の旅から帰ったような心地よい満足感に満たされて、去り行く列車を見つめているような感慨に耽る。読書で面白いということは大切な要素と思う。
今年さくらももこさんの若すぎる訃報に日本中が驚いたとき私は心のそこから惜しい人を亡くしたと思った。もう新しい「さくらももこの世界」を旅することはできず残念である。
さくらさんは高校時代の教師に「現代の清少納言」と言われたそうでそれを真に受けるなら次の作品まで千年待たなければならない。いくらなんでもそんなには待てないので久々に書店へ足を運びスマホをナビに新しい世界を発見するほうが早いかもしれない。久々に読書の秋を堪能しよう。